偉大な金日成主席朝鮮民主主義人民共和国では神より偉大であると考えられている.
平壌市民が,神にできないことがあっても偉大な金日成主席にできぬことはない
といっているのを私はテレビで見たことがある.
名前を呼ぶ時に呼び捨ては許されず,必ず最大限の賛辞の言葉が添えられる.
例えば,百戦錬磨の鋼鉄の霊将,朝鮮人民と人民軍の偉大な領袖
というような.
1912年4月15日,平壌の万景台で生まれる. 現在,ここは革命の聖地となっており,北朝鮮の修学旅行では必ず訪れることになっているらしい. 父の金享稷も革命家であった. 日本の植民地支配と戦うために抗日パルチザンとして朝鮮民族にとっての霊峰・白頭山を拠点にゲリラ活動を展開したとされている. これには疑問の声も多く,満州からソ連領に逃げていたという説や,抗日ゲリラ活動をしていた金日成将軍は白髪の老将軍であるといわれていたのに若すぎる(建国当時25才)という話もある.
1948年の建国(ソ連の後押しを受けていた)後,共和国の首相として軍事,政治を指導する. 中国の大躍進運動に刺激され千里馬(チョンリマ)運動を展開し,農業・工業の分野で成果を収めたとされている. 1972年,国家主席に就任し,主体思想を根本思想とする国家体制を固めはじめる. このころ,南に向けての侵攻を考えていたという説もあるが詳細は不明である. 韓国の経済発展が目覚しくなり,北からの統一が難しくなると,一つの国家,二つの体制という高麗民主連邦共和国を唱えるようになる. また,同時に息子である金正日書記への後継体制を確立する. 主体思想の血統理論により,後継者は金正日書記でなければならないとされる. これは,後継問題の正しい解決として北朝鮮国内では評価されている.
国家統一の念願を果たせず1994年7月,82歳で死去. 現在,主席の誕生日を太陽節とし,誕生年である1912年を主体元年とする元号が採用されている.
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