親愛な金正日書記1942年2月16日,革命の聖地・白頭山の密営で生まれたとされている. これには異論があり,ソ連領で生まれた(幼名ユーラ)という話もある. 父にも増して劣ることがないほどの天才とされ,文学・芸術・思想・武術・軍事 etc. すべての面に秀でているとされる.
人民に対する思いやりもあり現地指導されることを人民は待ち望んでいるという.例えば,次のような話が代表的なものである.
ある島に灯台守の家族が住んでいた.この家族には子どもがいたのだが,島に住んでいるのはその家族だけであったので,対岸にある小学校に船で通わねばならなかった. ところが,海が荒れたときは学校に行くことができない. これを聞いた金正日書記はひどく心を痛めた.
「その子どものための学校を作ってあげましょう.」
これに対して幹部は, 「親愛な金正日同志,それはあまりにも効率が悪すぎます.」 と言った.
書記は, 「何を言うのです.我が国の人民が等しく教育を受けることが必要です.効率は問題ではありません.」 と言った.
これを聞いた幹部は恥ずかしくなってしまい,常に人民のことを考える金正日書記の偉大さを思うのであった. そして,実際に小学校が作られることになったのである.
この手の話は偉大な指導者・金正日(未来社)に詳しい. 特に,最近は神格化が一層進み,天気を変えられるなどの話が伝えられている.
しかし,公式の場に現れることは滅多になく,そのため,姿を見せたときは新聞で報道されるほどである. その肉声も二回しか人民の前で流れていないと言う. これらから,どのような人物であるか,いまだ謎に包まれている部分が多い.
主な業績としては,三大革命の提案による国家の全てにわたる主体思想化,主体思想的芸術としての革命歌劇血の海(ピバタ)など,凱旋門や主体思想塔などの記念碑的大建造物の建設,その他社会主義革命の理論に関する多数の論文などである.
1997年10月,父である金日成主席の逝去から3年を経て党総書記に就任した.
1998年9月,憲法改正がされて国家主席のポストは廃止,国防委員長の権限を拡大した形で最高指導者となった.
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