朝鮮民主主義人民共和国では祖国開放戦争と呼ばれている. アメリカをはじめとする資本主義国の帝国主義から社会主義祖国の独立を守った栄光の戦いであるとされている.
1945年,日本の敗戦によって朝鮮半島は36年におよぶ植民地支配から開放された. しかし,アメリカとソ連によって分割統治されることになり,米ソの対立に巻き込まれる形で北と南に国家は分断されてしまった. 1948年8月に大韓民国が,ついで同年9月には朝鮮民主主義人民共和国が誕生する. このときに南北を分ける境界線を38度線としたのである. 分断国家の悲劇の一因は日本の植民地支配にあることを忘れてはならないであろう.
1950年6月,冷戦は熱い戦争になり朝鮮戦争が勃発した. どちらが先に攻撃したか解らないが,一般的には北が先に仕掛けたといえるだろう. 最初の局面で北が有利に進めていることから,かなりの準備をしていたと考えられるからである.
朝鮮人民軍の攻撃は凄まじく,開戦4日目にはソウルが陥落し,韓国軍は後退を続けプサン近くまで追い詰められてしまう. このとき,国連の安全保障理事会はアメリカの提案により北朝鮮による韓国への侵略であるとして国連軍の派遣を決定し,当時日本にいたマッカーサーを指揮官として北朝鮮に対する反撃が行われることになった. このときに行われたのが仁川上陸作戦である. この作戦は成功し,今度は国連軍が北に向かって進攻,ピョンヤンを占領し中国の国境近くまで人民軍を追い詰めてしまう.
このときの中国では国民党との戦いに勝利した共産党による中華人民共和国ができていたが,その中国の義勇軍が国境を越えて人民軍を助けるために参戦したのであった. 1951年になると中国の参戦によって戦線は38度線付近で膠着し,1953年7月に休戦協定が結ばれて現在に至っている.
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