1922年12月28日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1946年座礁し放棄
1923年6月16日三菱長崎造船所で竣工→1944年8月24日フィリピン沖で米潜の雷撃により沈没
1923年5月31日舞鶴工作部で竣工→戦後,京都府竹野港の防波堤とされる
1924年4月5日舞鶴工作部で竣工→1944年6月6日父島近海で米潜の雷撃により沈没
1924年8月30日舞鶴工作部で竣工→1945年1月15日高雄で空襲により沈没
浦賀船渠で竣工→1944年2月18日トラック島空襲により沈没
1925年12月21日石川島造船所で竣工→1941年12月11日ウェーキ島攻略作戦中に同島からの砲撃により沈没,大戦中の海軍喪失艦第一号
1925年12月29日藤永田造船所で竣工→1944年5月17日父島近海で米潜の雷撃で沈没
1925年4月24日佐世保工廠で竣工→1944年8月25日フィリピン北西で米潜の雷撃で沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.