1928年8月10日舞鶴工作部で竣工→1942年10月11日サボ島沖海戦で沈没
1928年12月18日横浜船渠で竣工→1943年3月3日ソロモン海域で空襲を受け沈没
1929年3月30日舞鶴工作部で竣工→1943年7月17日ブインで物資揚陸中,空襲を受け沈没
1929年6月29日浦賀船渠で竣工→1934年6月29日済州島南方で演習中に駆逐艦電と衝突沈没
1929年5月10日藤永田造船所で竣工→1942年10月11日ガダルカナル島への輸送作戦中に空襲を受け沈没
1928年7月25日佐世保工廠で竣工→1941年12月17日ボルネオ沖でオランダ軍の機雷により沈没
1928年7月26日石川島造船所で竣工→1944年7月7日択捉島北方で米潜の雷撃を受け沈没
1928年7月28日藤永田造船所で竣工→1944年3月16日千島列島沖で米潜の雷撃を受け沈没
1928年6月30日浦賀船渠で竣工→1943年4月9日バンダ海で米潜の雷撃を受け沈没
1929年6月30日佐世保工廠で竣工→1944年10月26日マニラ湾で空襲を受け沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.
1930年4月30日藤永田造船所で竣工→1942年11月15日第3次ソロモン海戦で被弾し翌日沈没
1929年12月24日舞鶴工廠で竣工→1944年9月12日海南島近海で米潜の雷撃を受け沈没
1930年6月30日佐世保工廠で竣工→1942年8月28日ガダルカナル島への輸送作戦中,ラモス近海で空襲を受け沈没
1930年12月3日舞鶴工廠で竣工→1943年11月25日セントジョージ岬沖で米駆逐艦と砲戦,被弾沈没
1930年11月10日石川島重工で竣工→1944年4月23日マカッサル海峡で触雷沈没
1931年1月31日浦賀船渠で竣工→1941年12月24日ボルネオ沖で蘭潜の雷撃を受け沈没
1931年10月31日佐世保工廠で竣工→1942年10月17日キスカ島近海で空襲を受け沈没
1931年7月31日藤永田造船所で竣工→1944年11月13日マニラ港内で空襲を受け沈没
1932年5月19日舞鶴工廠で竣工→1944年1月14日ヤップ島近海で米潜の雷撃を受け沈没
1931年11月14日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1948年8月解体処分
1932年11月30日佐世保工廠で竣工→1942年11月12日第3次ソロモン海戦で沈没
1933年3月31日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
1932年8月15日浦賀船渠で竣工→1944年4月14日メレヨン島近海で米潜の雷撃を受け沈没
1932年11月15日藤永田造船所で竣工→1944年5月14日セレベス海で米潜の雷撃を受け沈没