1944年6月27日日立造船桜島で竣工→1944年8月22日マニラ沖で米潜の雷撃を受け沈没
1944年8月7日日立造船桜島で竣工,終戦時残存→1945年11月16日掃海作業に従事中触雷沈没
1944年7月13日日立造船桜島で竣工→1945年2月25日海南島沖で米潜の雷撃を受け沈没
1944年9月25日日立造船桜島で竣工→1945年1月28日黄海で米潜の雷撃を受け沈没
1944年10月15日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「生名丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「おじか」と改名,1963年解役
1944年12月15日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
1945年1月10日日立造船桜島で竣工,終戦時佐世保で残存,1947年解体
1945年2月19日日立造船桜島で竣工→1945年4月4日関門海峡で触雷のため沈没
1945年4月7日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として英国に引渡
1945年5月10日日立造船桜島で進水,終戦時未成,1946年浸水のため沈没
1945年3月5日日立造船桜島で起工,終戦時20パーセント完成,戦後解体
1944年7月31日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「鵜来丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「さつま」と改名,1967年解役
1944年8月16日日本鋼管鶴見で竣工→1945年7月30日舞鶴で米艦上機の攻撃を受け大破着底,後に解体
1945年4月8日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年12月賠償艦として英国に引渡
1944年12月2日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時舞鶴で中波修理中残存,1948年解体
1944年10月21日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「新南丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「つがる」と改名,1967年解役
1944年10月23日浦賀船渠で竣工→1945年2月23日南部仏印沖で米潜の雷撃を受け沈没
1944年12月31日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「竹生丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「あつみ」と改名,1962年解役
1945年3月30日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
1945年3月30日日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
1945年4月30日浦賀船渠で竣工→1945年8月1日七尾湾で触雷,終戦時残存,戦後着底,秋田港の防波堤に利用
1945年7月17日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
1945年5月26日浦賀船渠で進水,終戦時90パーセント完成,戦後解体
1945年6月15日日浦賀船渠で進水,終戦時90パーセント完成,戦後解体
1944年12月16日三井造船玉野で竣工→1945年8月9日八戸港で米艦上機の空襲を受け沈没
1945年1月10日三井造船玉野で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
1945年2月21日三井造船玉野で竣工→1945年5月2日黄海で米潜の雷撃を受け沈没
1945年3月15日三井造船玉野で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として英国に引渡
1944年12月20日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
1945年4月26日三井造船玉野で竣工,終戦時舞鶴で中波状態で残存,戦後解体
1945年1月25日佐世保工廠で竣工,終戦時舞鶴で大破状態で残存,戦後解体
1945年3月20日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事,進駐軍連絡船として博多と釜山間に就航→1950年気象観測船「志賀丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「こじま」と改名,1964年解役→千葉市稲毛の海洋公民館に払下げ,1998年解体
1945年3月24日佐世保工廠で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,進駐軍連絡船として就役,1946年7月解体
その他,30隻の計画があったが1944年8月に建造中止となった.