富浦の大房地区は東京湾に向かって張り出した高台で,幕末にも砲台が設置されていました. 大正末になり要塞地帯として指定され,昭和3年ごろから工事を開始し,昭和7年頃すべての工事を終えたようです. 東京湾要塞の一翼を担い,対岸の砲台と連携して東京湾への艦船の侵入を阻止することが目的でした. 当時は,列車のブラインドは降ろされたままで外を見ることは禁止され,写生や写真撮影なども禁じられていました. 現在は公園として整備されています.

砲台脇にある説明. 写真にあるような状況で残っていた.

現在の砲台跡. 整備されて奇麗になっているが,当時の姿とは異なっているものと考えられる. 大房には,20cm砲2門の砲塔が2基設置されていた. 背後には弾薬庫の跡も残っている.

探照灯が格納してあった建造物. コンクリートは非常にしっかりしたもので,とても60年以上前のものとは思えない. この建造物の向かい側に探照灯エレベーターへの入口がある.

探照灯エレベーター跡. 探照灯は地下に格納されており,使用時にエレベーターで持ち上げられた.

通風孔の後.

探照灯台に向かっている通路の床. 非常に奇麗な状態である.


現在は物置場として使われているようである.


震洋を発進させるためのレールの跡.

震洋を発進させるためのレールの跡. 海面下にあるのは満潮時のため.
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